2023.03.04 劇団四季ノートルダムの鐘@京都劇場 13時公演 カジモドとフロローについての感想
2023.03.04 13時公演
@京都劇場にて観劇してきました。
京都劇場には何度も来たことがあるけれど、劇団四季の作品を見るのは初めて。ノートルダムの鐘を見るのも初めてでした。
ここから下は今日の公演の感想を書いていきます。
・カジモド
生まれてからずっとその"容貌"からノートルダムの大聖堂の中で生活をしている。眼下に映る街の人々が触れ合う光景に憧れを抱き続ける。大聖堂の中とはいえどフロローに愛され育ち、とても心優しく健やかに育った青年。鐘つきだからこそ培われたであろうその健脚と力の強さ。そして身体能力の高さ。外の世界に憧れはありながらも、フロローへの恩義は決して忘れていない。
山下さんのカジモドは外の世界を知らないからこそ、育ての親のフロローへのまっすぐな忠誠心を感じた。それでいてとても幼い。なにも知らないその姿は、時折、小さな子供のように見え、それはカジモドが育った環境からなるある種の未成熟さをひどく感じる部分だった。どこかアニメーションの作品から抜け出してきたのかな?と思うほどそのカジモドにとても近かった。優しく哀れなカジモド。それでも優しきカジモド…。かわいいカジモド。どうしてそうしなければならなかったの?悲しいよ…。という気持ちだけが積み上がる。とても素晴らしいカジモドでした…。
・フロロー
悲しい経緯があってカジモドを引き取ることになったフロロー。弟から託された子カジモドに本当の愛情を向けていたのだろうと思えるほど、劇中の「息子よ」という台詞はズッシリと重く心に響いて、その後の2人のハグは優しくあたたかかった…。そのハグのおかげでよりその後の展開が重たく悲しいわけですが…。
野中さんのフロローは弟を亡くした深い悲しみからずっと自分を律し続けてきた人で、このフロローだからこそこのカジモドあり。と思えた。堅実で実直で、真面目そうにも見えた。ですがその姿であればあるほど、カジモドに対するまるで実の親であるかのような優しい愛情。それが見えれば見えるほど、ジプシー エスメラルダに抱いてしまった気持ちへの暴力とも言えるような行動や言動がとてつもなく狂気じみているように見えた。
言葉に説得力があると言葉は心の中にスルスルっと潜り込み、人の心を虜にしてしまう。きっとその言葉で今までカジモドを育て上げたのだろう。だけれど、外の世界を知るエスメラルダにはその思いはとどくはずもなく。。。
フロローは自分を律し続け愛されたい欲望が招いた暴走と破滅だったのかな。と思う。