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リモート配信劇場 うち劇第4弾「サイレント ヴォイス」を見た感想と考察

5月16日に行われたリモート配信劇場 うち劇第4弾「サイレント ヴォイス」1部・2部共に視聴した。

 

この作品の主たるところは脚本演出を担当された西森さんが2001年6月8日に起こった「付属池田小事件」の被疑者弁護人に長年にわたり取材したうえでフィクションとして描かれたものである。

事前にあらすじを読んでいたので大方そうだろうと思っていたし多少の心構えをしたうえで観劇に臨むことができた。これは個人的にはとてもよかったなと思っている。

 

さて、本題に入る。

話は荒牧慶彦さん演じる平弁護士と、山崎大輝さん演じる新人弁護士新垣、そして杉江大志さん演じる犯人・佐久田の3人による面会室という場所を用いた会話劇だった。残虐な事件を起こした犯人の弁護士サイドからの視点で物語は繰り広げられた。

 

犯人・佐久田は残虐な犯行を起こした。現行犯逮捕されているのだから非難されて当然というのが一般論であると思う。それは間違いなく揺るぎないものである。だが、平弁護士は彼を許す・許さないを別にして犯人である前に一人の人間でもある佐久田と同じ人間として限りなく対等な目線で向き合っていた。そして少なくとも、平の熱意によって彼の心は少し救われた部分もあったのではないかと思う。

 

最終弁論にて平が佐久田に向けて語った言葉の中に「君があの日あの時鬼と化してしまったことである」という言葉がある。まさしくそれであると強く感じた。平は事あるごとに詩集を佐久田に差し入れていた。詩集や小説というのは人が生きていく中で感じる様々な言葉や感情が緻密そして丁寧に描かれているものが多い。それは名作なら尚更。

人にはそれぞれ御用があるように、その芽吹く前の花を摘んでしまったことを君は決して忘れるな という平弁護士の言葉はとても詩的であり、心を打つものがあった。

 

すくなくともあれだけ自分と向き合い続けてくれた人がいることは、佐久田の心に残ったものはあるだろうと信じたいし、たとえ彼の中のねじまがった歪んだ考えが変えられなくとも、この世を去る前に、自分が犯してしまったことへの後悔を、そして人に会えなくなってしまう寂しさを少しでも思い返していることを祈りたい。

 

平弁護士が最終弁論で話した金子みすゞの『私と小鳥と鈴と』の「みんなちがって みんないい」は今ではどうかわからないが学生時代にクラスに標語として常に掲示されていた。実在する事件前当時の学校に掲示されていたと記憶している。それを思い返すと同時に、彼は学校生活の中でも、モノに対する慈愛や他者に対する愛情の部分などを理解することはできずそれが酷く欠如していってしまったのだなと感じた。こういったことは日常の生活の中で、人と接していく中で学んでいくべきことであると思う。だがしかし彼が本当に精神障碍者であったのだとしたら、それは作中でも述べられた通り、そういった人々が生きにくい社会でもあるのかもしれないとも感じた。

 

近年現代社会ではバリアフリー社会という目標が掲げられているところがある。自分と違う人を認め、自分を認め、社会で生きていく上で何が大切なのか、すべての人が等しくそれを理解しあえる、平等で生きやすい社会をつくるというのが正しいバリアフリー社会であろう。しかし、平等という言葉が並べられているところを感じると、不平等というものが存在しているから平等という言葉が出てくるのだなと、この作品を見てから改めて感じた。

 

佐久田の挙動や話した言葉の中には生き苦しい世の中、そして自身が強く感じた不平等さへの恨みが渦巻いて見えた。その根幹にあるものの真実は本当の言葉はわからないが、私には彼の心の奥底に「本当の愛情」を受けられなかったという「寂しさ」があったのかなと感じた。彼が本当に本当の愛情を知らずして育ってしまったのなら彼の欲しかった愛情が一体どこにあったのかはわからない。だが、話の内容から察するに勘当された父親や懇願したが復縁が叶わなかった妻からその愛情を受けたかったのだろうと思う。人は興味のない人に対しては感情がわかないものである。そういった場合にそこにある感情は無なのだと思う。佐久田は父親や元妻への復讐のためにこの事件を起こしたと話していたのだからきっと愛情をそこから与えてほしかったのであろう。少なくともこれは個人的考察であるので読み手の皆様にはそのあたりは了承していただけたら幸いである。

 

どんな理由があったも人を殺めることは決して許されるものではない。

それは何があっても変わらないことである。

今回の作品はその許されない罪を犯した人間と最後まで向き合うということの大変さや辛さなども強く感じた部分があった。

 

残虐な犯人と相対する弁護士の精神力と体力の消耗はとてつもないものだと感じたし、そういった仕事を請け負う弁護士という仕事は彼らと人間として最後に向き合う大切な時間を作っているのだとも思った。

 

また、新人である新垣弁護士は、作品の中でとてつもなく重要であった。一本の柱となり先輩である平を強く支えていた部分があったと思う。青臭いからこそ言える気づき、それこそがこの物語の起点だったのではないかと思う。少なからず難儀な内容の弁護でありながらも、それでも、平と共にこの一連の事件の弁護を通しての成長した新垣という弁護士はおそらく近が大きく成長していくのだろうと感じるほどであった。

 

リモートという形での配信ではあったので、多少の戸惑いはありつつ、画面の向こう側ということの若干の誤差は感じながらも、生で演じられているという部分は舞台と変わらず、途中で何度か起こったハプニングによる中断も相まって、臨場感を感じていたので、何か舞台演劇と通ずるものを感じるところもあった。

 

このタイミングでこの情勢下でこの作品を見ることができて、とても有意義な時間となった。またリモート演劇を見る機会があれば、また見てみたいと思う。

 

そしておそらくだが今後もリモート演劇は劇場演劇とはまた異なった手法でリモート演劇にしかできない設定であったり手法で展開していくのではないかと感じることができた。